「食べ吐きに逃げなかったらマラソン人生は変わっていた」
病気だとは思わず、自分の「意志の弱さ」だと思っていたと振り返る原裕美子さん(写真・貴田茂和、双葉社提供)水野 梓
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厳しい体重制限から食べたり吐いたりを繰り返す摂食障害に陥り、窃盗症にも苦しんだ元マラソン日本代表の原裕美子さん。自身の過去を記した『私が欲しかったもの』(双葉社)を出版しました。当時は病気とは思わず「練習はあれだけ耐えられるのに、食べることと万引きに関しては、なんで気持ちが弱いんだろう」と自分を追い詰めていたといいます。そんな原さんが、一つだけ後悔していることは――。(withnews編集部・水野梓)
「吐く=苦しまずにやせられる方法」に
原さんが摂食障害に苦しんだのは、高校卒業後に入社した京セラ時代の厳しい体重指導が原因でした。毎日4回以上は体重計に乗せられ、「減量中」だった原さんは0.1kgでも増えていたら叱られたといいます。初めて吐いたのは2000年12月。入浴中に気分が悪くなって胃の中のものが逆流し、その後、いつものように体重計に乗ると入浴前より体重が減っていたといいます。“「食べたものを簡単に出せるなら、もう夜中にバイクを漕ぐことも、サウナに入ることもしなくて済むかもしれない!」”“頭の中に「食べたものを吐く」という行為が、「〝苦しまずに〟痩(や)せられる方法」としてインプットされた瞬間でした”――『私が欲しかったもの』(双葉社)より――ご著書を読んで、実業団での体重管理の指導がかなり苛烈(かれつ)だったと感じました。指導を超えちゃっている感じはしましたね。監視・管理というか。朝から晩まで練習し、カロリー計算されていて唯一の楽しみである食事さえ、監督の目の前で食べされられ「これはダメ」「これは半分残せ」と言われました。いくらするの?というぐらい立派な体重計を使っているのに、測るのは体重だけ。体脂肪や骨量はみてくれませんでした。部の中に「おかしいよね」という意識はありましたが、誰も言えない環境でした。――ずっと「体重」に頭が支配されているような気持ちだったんですね。家に帰っても、練習が休みの日曜でさえも、「体重が増えないように」「体重体重体重」でした。水はカロリーゼロですが、飲んですぐに体重を量れば、飲んだ分だけ増えてるじゃないですか。うがいしてノドをうるおしたりして我慢していました。それでも我慢できないときは、自販機でたくさんジュースを買って、1ℓを飲んでトイレで吐き出すということもしていました。陸上やフィギュアスケートなど多くのアスリートが摂食障害に悩んでいます出典: https://www.asahi.com/articles/ASP2V449QP28UTQP01P.html――食べ吐きが日常的になっていた2005年ごろを、「押し殺した感情を大量の食べ物とともに吐き出すような感覚」と振り返っています。それが体重を減らすだけでなく、ストレス発散にもなっていたんですね。不安とかつらいことを忘れることはできないけれど、食べて吐くことで気持ちよくなって、100あったものが20とか30ぐらいに軽くなる感覚でした。体重を増やして怒られたくないという思いもありましたが……――「食べたい」という気持ちがわきあがるとき、「手が舌のようだった」という表現が印象的でした。自分だけ厳しい食事制限がある中、ヨーグルトやゼリーを食べているほかの部員たちがうらやましくて、だんだん甘い物が我慢できなくなっていきました。「練習の前ならいいか」とお菓子を一口食べたら止まらなくなって、まさに手が舌になるようでした。頭から食べ物のことが離れなくて、全身で食べ物をほしがっていました。あまりに制限させられすぎたから、そんな風に体が反応しちゃってるんでしょうね。2005年、世界選手権でマラソンを走る原裕美子さん(左)。すでに食べ吐きが日常化していたといいます出典: https://www.asahi.com/articles/ASP3R4W0MP3LUTQP01J.html自分に甘いから 意志の弱さだと思っていた
――ダイエットに悩む人にもよく「自分に甘い」「努力すればやせられる」という言葉が寄せられることがあります。原さんも当時、ご自身のことをそう考えていたのでしょうか。摂食障害という言葉も知らなかったし、自分の意志の弱さ、甘さだと考えていました。練習では誰よりも我慢できていたし、その結果として世界で戦えるようになったのに、なんで体重管理もできない、万引きもやめられないんだろう、って。練習ならあれだけ耐えられるのに、食べることと万引きに関しては、なんでこんなに気持ちが弱いんだろうと思ってました。――その時点で誰かにつらさを訴えるのは難しかったですか。実業団に入ってからは「自分は一人でもやっていける」「自分さえよければいい」と思っていたのも悪かったのかもしれません。個人競技だったからなのか、「まず自分に勝たなきゃ相手に勝てない」と考えていました。まわりを頼るっていう考えがなかったんですよね。誰かに相談したら、迷惑をかけてしまう、傷つけてしまうと思っていたし、何より「気持ちで負けたら強くなれない」と思っていました。アスリートや指導者にも、厳しい体重管理の危険性を訴えたいと考えている原さん(写真・貴田茂和、双葉社提供)「手を抜く」ができない ダメな自分が許せない
――周りのことやお世話になっている人のことををまず考えてしまう、まじめな性格だったんですね。摂食障害と窃盗症の治療で入院していたとき、同じ病気の人と話していても、そういうまじめな性格の人が多いと感じました。私は「いい加減」や手を抜く「適当」が全くできなくて、なんでも「完璧にやらないと……」と思っていました。それが自分を追い詰めていたんですね。手を抜けていたら、ダメな自分を許すこともできたでしょうし、ダメな自分を誰かに打ち明けることもできたのかなぁって思います。――当時、原さんと同じように苦しんでいた方もいらっしゃったんですか?本を出すことを昔の仲間や後輩にも連絡したら、当時、食べ吐きしていた子が「あのときはつらかったですよね」と話してくれました。その子は耐えられなくて、すぐに陸上をやめてしまいました。私の場合は結果がついてきてしまったので、やめることもできなかった。陸上しかやってこなかったから、ほかに何ができるのかなという気持ちもありました。食べ吐きが始まって、「何か一つ結果を出してからやめよう」と思っていたのに、体重が軽くなって記録が出ちゃった。あれがよかったのか悪かったのか分からないですけど、もっと強くなりたいと思っちゃって、食べ吐きも、陸上も、やめられなかったんですよね。適切な治療を受けなかったことを後悔
――2009年に京セラを退社、2010年に故・小出義雄監督のチームに移籍されます。引き続き摂食障害に悩むなか、小出監督からは「けがを治すために食べろ」と言われたそうですね。ご著書には「自分の選択に後悔はない。でも、食べ吐きに逃げなかったら――」と書かれていました。“私は自分が選んできた道に後悔はありません。ただ、もしも京セラ時代、食べ吐きに逃げなかったら、少なくともチームのキャプテンが注意してくれた時に適切な治療を受けていたら、私の競技人生は違うものになっていた、その後悔だけはあります”――『私が欲しかったもの』(双葉社)より京セラ時代、練習のひとつひとつの意味を細かく指導してもらったからこそ、世界で戦えるまでに成長できたし、その後の小出監督の自由な指導のもとでやっていけたと思っています。それは感謝しかありません。でも、自分の心のつらい部分を相談できる、打ち明けられる場所がきちんとあったら、食べ吐きもなかったかもしれないし、やったとしてもすぐにやめられたと思います。それだけは今も後悔しています。心のエネルギーを補給できなかった
――24時間すべてが陸上のためにあるような生活。リラックスする暇もなかったんですね。寝るのさえ翌日練習できるように体を戻すためで、心のエネルギーを補給する時間がなかったんですよ。自分の時間もなかったので、気分転換も、つらいことがあったときの対応も、すべてが食べ吐きでした。ほかの方法で気分転換やリフレッシュができれば……とは考えられなかったですね。今は走ることが楽しいと感じられるようになったという原さん(写真・貴田茂和、双葉社提供)いまの選手たちの細さの危うさ
――ただ、いま活躍したいと考えている10代の選手に「過度な体重減少は生理が止まり、骨折などのけがにもつながって危険なこと」と分かってもらうのはなかなか難しいのではないでしょうか。私の中学時代は、「体をつくる時期で、その先の競技人生も引退後も大切だから」と体重管理も過度な練習もありませんでした。今振り返れば「そういうことだったのか」と納得できます。だからこそ、これは選手だけではなく、指導者や保護者、陸上競技連盟といった周囲のみんなで考えていかなければいけない問題です。テレビで陸上大会を見ていると選手がすごく細いなと驚きますし、特に中高生の姿には「あぁ、危ないな」とも感じます。“「女性アスリートの三主徴(利用可能エネルギー不足、無月経、骨粗鬆症(こつそしょうしょう))」というものが話題となってきました。激しい運動量に見合った食事量が摂取できていない「利用可能エネルギー不足」が原因で、脳からのホルモン分泌が低下し、「無月経」となります。この無月経に伴う低エストロゲン状態が続くと、骨量低下が起こり「骨粗鬆症」のリスクや疲労骨折のリスクが高まります”――女性アスリートの健康、ピルで管理 生理の症状緩和:朝日新聞デジタルより――中高生の頃から駅伝などが注目され、体重を軽くして速く走ろうと考えがちなのでしょうか。指導者も結果を残さなければいけない、親は子どもに活躍してほしい一心で、子どもも強くなりたい……。それで練習も厳しく、体重管理も厳しくなってしまうのかもしれませんが、結局はけがが続いて選手寿命を縮めてしまいます。“もし今、厳しい体重管理や摂食障害で苦しんでいる若い選手がいたら、すぐに親や身近な人に相談してください”“自分の体が発するSOSを無視すると、取り返しがつかないこともあります”“また、指導者や親御さんを含めて、サポートする側の皆さんにもお願いしたいことがあります。なるべく選手一人ひとりに寄り添い、小さな変化を見逃さず、察知してほしい”“若いアスリートの皆さん、この先の人生のほうがずっと長く、今と同じくらい大切な時間がたくさん待っています。あなたには、私が味わった地獄のような苦しみを経験してほしくありません”――『私が欲しかったもの』(双葉社)よりアスリートだけではなく、これから走る子どもや指導者、親や家族にもその危険性を伝えていきたいと考えています。
原裕美子『私が欲しかったもの』(双葉社)【インタビュー前編はこちら】下された診断は「窃盗症」元マラソン代表・原裕美子さんが明かす過去自分に自信がないと、摂食障害? 意外なチェックポイント
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