アジアや米国など海外で育ち、起業した山本さん
人工知能(AI)技術やアルゴリズムなどを活用し、キャリア支援事業を展開するHUPRO(ヒュープロ、東京・渋谷)社長の山本玲奈さん(28)。同社は税理士や弁護士など「士業」や経営管理部門を対象に、マッチング期間が平均21日間という「最速転職」サービスを展開して急成長し、株式公開も視野に入れる。 「若い女の子か、大丈夫なの」。慶応義塾大学時代に転職サービスで起業したが、対面で顧客に会うと、何度もこう言われ、相手にされなかった。試行錯誤を繰り返し、AIなどIT技術をフル活用し、活路を見いだした。新型コロナウイルス下で、非対面によるスピード転職サービスを実現すると流れが変わった。「若い」「女性」という偏見、バイアスを乗り越えて急成長モードに。常に前向きな山本さんの性格は海外で培われたという。
■2歳から海外暮らし 13歳で小説家デビュー
若い社員が毎月増えている。
「2歳の頃から海外暮らし。失敗を重ねながら、何でも挑戦してきた」。山本さんはこう話す。父親は商社マン。家族でインドネシアやタイ、シンガポールなど東南アジアの国々を渡り歩いた。長く滞在したのはインドネシアの首都ジャカルタ。小学校の頃までは今ひとつ勉強は好きになれず、自分に自信が持てなかったが、一念発起して小説を書くと評判を呼んだ。13歳の時に書き下ろした「悪霊退治!三人組」を2007年に出版。何と中学生で小説家デビューを果たした。自己肯定感が増し、何事にも挑戦するタイプになった。地元の日本人学校「JJS」では中学校の生徒会会長も務めた。高校は作文や面接で選抜するAO入試で米ニューヨーク(NY)州の慶応義塾ニューヨーク学院に進んだ。慶応義塾唯一の海外の一貫教育校で、学費は高額と言われるが、奨学金が支給された。憧れの慶応NYで英語力も身につけ、何事にも積極的に取り組んだ。バスケットボールに水泳、野球部のマネジャー、そして生徒会にも参加。11年の東日本大震災の直後にボランティア団体を立ち上げた。クリスマスには米国人の家庭を回り、歌を歌って寄付を募った。人種差別問題が常に取り沙汰される米国。多様な人種がいるが、「ボランティアには協力的で温かい米国人が多かった」と振り返る。当時は外交官か弁護士になりたいと考えていた。希望通り慶応大学法学部に進んだ。幼い頃からアジア、そして米国を回り、やっと日本に戻ってきた。外交官や弁護士になるためには難関の国家試験を突破しなくてはいけない。しかし、山本さんは部屋に引きこもり、黙々と勉強するタイプではない。常に行動し、その活動が評価されてきた。ここは日本と海外の違いだ。大学ではバスケットボールのサークルに属しながら、政治家の下で活動するNPO法人「ドットジェイピー」での活動に励んだ。そこで大使館向けのインターンシップ(就業体験)プログラムを実施するチームを設立し、アフリカや中東など50カ国近くの大使館を回った。インターンシップと試験勉強の両立は難しい。途方に暮れる中、海外でもう一度リセットし、法律や政治の勉強に本腰を入れようと考えた。英エディンバラ大学に1年間留学した。アジアから米国、そして欧州へ。幅広い海外体験は難関試験の突破にもプラスになると考えたからだ。エディンバラ大は発明家のグラハム・ベルなどを輩出したスコットランドの名門大だ。しかし、「授業は週4回ほどで、意外に余裕があった」という。課題も想像ほどハードなものではなく、日本で受けていた講義と大きな差は感じなかった。
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