作詞家で直木賞作家の、なかにし礼(なかにし・れい)さん(本名・中西礼三=なかにし・れいぞう)が、心筋梗塞のため23日午前4時23分、都内の病院で死去したことが25日、分かった。82歳。旧満州生まれ。2012年に食道がんが見つかったが、先進医療の陽子線治療で克服。その後も旺盛な創作意欲を見せていたが、ついに帰らぬ人となった。葬儀・告別式は後日、家族葬として行う。喪主は妻の由利子さん。
「天使の誘惑」などで日本レコード大賞を3度受賞した売れっ子作詞家で、作家としても「長崎ぶらぶら節」で直木賞受賞。多彩な顔を持ったなかにし氏が亡くなった。
親族によると、約1カ月前に都内の病院に入院。家族にみとられながら旅立った。コロナ禍でもあり、葬儀は家族葬で実施する。親族は「家族葬は本人の意志でもありました」と説明した。
あふれ出る才能を数々の作品にしてきたなかにし氏は、7歳の時に敗戦で中国から日本に引き揚げた苦労人だった。18歳で家出をした後は道路工事などで生計を立て、その後、入学した立教大でシャンソンの訳詞を手掛けたのは学費稼ぎのためでもあった。
66年に「涙と雨にぬれて」で作詞家デビュー。以降、ヒットメーカーとして約4000作の作詞を手掛けてきた。経営者の顔も持ち、設立した芸能プロダクションが倒産した際は、約2億5000万円の借金を作ったとも報じられた。それでも、89年に行った作詞家生活25周年のパーティーでは「人生、山あり谷あり。難破しかけたこともあったが、皆さまのおかげでここまできた」と、大変だった過去さえ笑い飛ばしていた。
最初の大病は1992年(平4)。54歳の時に心筋梗塞で心臓の5分の2が壊死(えし)した。12年には食道がんが判明。これは、放射線治療の一種、陽子線治療を4カ月で30回受けて克服した。仕事復帰した後も3カ月に1度の定期検査を欠かさず、15年1月には作詞家・作家生活50周年記念のアルバム「なかにし礼と12人の女優たち」を発売するなど、精力的に活動してきた。
ところが、同時期の精密検査で食道付近のリンパ節にがんの再発が判明。患部が臓器の密集部位なため、頼りにしていた陽子線治療は出来なかった。そこで手術を選択。当初は体に負担の少ない胸腔(きょうくう)鏡手術の予定だった、手術中に、背中を大きく約25センチも切る開胸手術に急きょ変更した。
術後、日刊スポーツの電話取材に「(92年の)心筋梗塞で心臓が半分ぐらい壊死しているから、心臓が長時間の全身麻酔手術に耐えられるかどうかだった。やれるところまではやったけど、患部をすべて取り切れなかった」と打ち明けた。今後のことは「主治医と対応を考えながらやっていくが、まずは治療に専念する。1日も早く復帰したい」と話していた。
その後、週刊誌「サンデー毎日」で小説形式の連載を行うなど、最後まで創作意欲を失わなかった。