日本におけるデジタルアートの世界に一石を投じた、村松亮太郎さん率いるクリエイティブカンパニーNAKED,INC.(ネイキッド)。2012年に行われた「TOKYO HIKARI VISION」は記憶に新しい。1914年の創建時の姿に復元された東京駅丸の内駅舎がまるで生きているように彩られ、2日間で約2万人を動員。「プロジェクションマッピング」という映像手法を、広く知らしめるきっかけとなった。
ネイキッドの作品に共通するのは、観る人の感覚に訴えかける世界観や、物語性を持ち得ている点。それは村松さんが俳優や映画監督としての経歴を持ち、多様な映像の世界で作品を作り続けてきたことが、少なからず関わっているようだ。
ネイキッドが映像プロダクションとして産声を上げたのは1997年。テクノロジーの進化とともに歩んできたこれまで、そしてコロナ禍でさまざまな社会課題が浮き彫りになった今、アートに込める思いを聞いた。
村松亮太郎(むらまつ・りょうたろう) アーティスト。NAKED, INC.代表。大阪芸術大学客員教授。長野県・阿智村ブランディングディレクター。1997年にクリエイティブカンパニーNAKED, INC.を設立以来、映像や空間演出、地域創生、伝統文化など、あらゆるジャンルのプロジェクトを率いてきた。映画の監督作品は長編・短編合わせて国際映画祭で48ノミネート&受賞。2018年からは個人アーティストとしての活動を開始し、国内外で作品を発表。2020年には、分断の時代に平和への祈りで世界を繋ぐネットワーク型のアートプロジェクト『DANDELION PROJECT』を立ち上げ、世界各地での作品設置に取り組む。
文字は記号。言葉ではなく「映像」で伝えたかった
取材を行ったのは、村松さんが大切にするレコードとヴィンテージのオーディオ機器がずらりと並ぶ空間。テクノロジーを駆使した作品が国内外で評価される村松さんだが、「実は究極のアナログ人間でもあるんです」と語る。
子どもの頃は優等生で小・中学時代は生徒会長を務めた。バブルで世の中が浮き足立ち、いい大学を出て一流企業に勤めることが良しとされるなか、どう生きていくべきか村松さんが答えを求めたのは本や映画、音楽、そしてアートだった。とくに惹かれたのが映像の世界。
「はじめは小説家もいいなと思っていました。でも、文字は記号でしかない。『青い空、白い雲』と言っても、実際は空にも雲にも色はありません。だったら、僕はその感覚を言葉ではなく映像で伝えたかった。映画や短編・長編フィルムを撮るときは脚本も書きますが、まず思い浮かべた映像を脚本に落とし込むのです。映像を先にイメージするのは、デジタルアートでも変わらないですね」
作品を制作するなかで、繰り返される選択と決定。その判断基準としてきたのは、「自分が信じられるか、自分が気持ちいいと感じられるか」。ポリシーは持った瞬間に自分の可能性を狭めてしまうため、「こうあるべき」という考えは持たないようにしている、と村松さんは静かに語る。
「いつ生まれるかわからないインスピレーションを敏感にキャッチできるように、頭の中を整理しすぎず、星空のようにカオティックにしておくことを意識しています。今ある星座は誰かが作ったものだけど、視点を変えれば違う形に見えるし、別の星をつないでアレンジしたっていいでしょ。感性は鈍らせたくないですね」